パラリンピック女子マラソンに挑む視覚障害の女性
本日のNHKあさイチ、ゲストに道下美里さんが出演していました。
リオデジャネイロ・パラリンピックで
初めて正式種目に採用された、視覚障害者の女子マラソン。
道下美里さん(39歳)は、その初代女王を目指します。
30歳を過ぎてからマラソンを始め、
自己ベストは2時間59分21秒、世界歴代2位の記録です。
144センチと小柄な体型を生かしたピッチ走法で、
日本人らしい粘り強い走りが特徴。
「応援してくれる人達のためにも絶対金メダル!」
と語る、笑顔がすてきなマラソンランナーです。
道下さんは、角膜の病気で視力が低下し、
中学2年生のとき右目の光を完全に失います。
「それでも左目がある」
短大を卒業し、レストランで働きながら調理師免許を取得。
ところが、25歳で左目にも同じ症状が現れ、
視力のほとんどを失ってしまいます。
家に閉じこもり、母親に心ない言葉をぶつけてあたり散らす日々。
「自分は家族や社会のお荷物、生きる意味があるのか・・・」
そんな失意のどん底から道下さんを救ったのが、“言葉”でした。
あるときは母から、夫から、そして親友や名前も知らない男性から。
背中を押され、生きる力になったと言います。
病院で出会った見知らぬおじさんからは、
こんな言葉で励まされました。
「神様は、それを乗り越えられる人にしか試練を与えない」
そのおじさん自身も大きな車いすで、
元に戻れないような体だったにもかかわらず、
運命を受け入れて前進しようとする言葉でした。
「おじさんも乗り越えられる。選ばれた人なんだ」
と語ったそうです。
そして聞き流せば何でもないけど、
道下さんにとっては大きい言葉がお母さんから発されます。
それは、道下さんに直接告げた言葉じゃなく、
お母さんが誰かと世間話でもしてるときの会話の一部でした>>>
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道下さんの心に残る、お母さんの言葉です。
「全然大変と思ったことはないけどね」
道下さん25歳のときでした。
家業が本屋さんなので。
目が悪くなっていって手伝いができなくなって
家に閉じこもっていた日々だったんですね。母がいろんなところに連れ出してくれて。
私がトイレに入ってる時に、友人と会話をしてる中で
その言葉を発してくれたんです。私自身目が不自由になって、社会のお荷物なのかなとか
家族のお荷物なのかなって感じていて。
母がため息をついたり悲しい表情をしたりすると
私がこんなふうだからって思ってました。でも母自体はそんなふうに多分思ってなくて、
私が入退院を繰り返して母に迷惑をかけて、
母自身は苦労してると思うんですけど、
母の友達に
「目の不自由な子がいるから大変なんじゃない?」
と聞かれた時に、
そう言ってくれてすごく心に響いて。そんな風に思ってくれてたんだ。
視力をほとんど失ってから、道下さんは走り始めます。
ひきこもりがちな生活で増えた体重を減らす、ダイエットが目的でした。
そして、31歳でフルマラソンに挑みます。
お母さんがインタビューで答えています。
お母さんは、そのときがどんな時だったのか
記憶にないそうです。
だけど、いつも思ってる本心だから、
特定の場面として覚えておられないのでしょう。
お母さんにとっても、道下さんから帰ってきた言葉で、
忘れられないものがあります。
お母さんへのプレゼントとともに、こんな言葉を贈りました。
「目を悪く生んでくれてありがとう」
それは心が荒んでいるときの皮肉な気持ちをぶつけたのではなく、
道下さんの本心からの言葉でした。
こんな私なのに、皆さんから注目いただき、
皆さまの前で話しをさせていただいたり、
大好きなマラソンや、大好きな仲間に出会えた。
それは自分の目が悪くなければできないことだった、
道下さんは、素直そうな、そして素敵な笑顔でそう答えていました。
参考URL:http://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/160725/1.html
参考URL:http://ami-go45.hatenablog.com/entry/2016/07/25/093132
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