小泉純一郎が息子たちに告げた「ママは実の母ではない」
俳優・小泉孝太郎(38才)と衆議院議員・小泉進次郎(35才)の伯母、
そして元首相・小泉純一郎(74才)の姉である小泉道子さん(享年84)
のお別れ会が8月28日、神奈川県横須賀市でしめやかに営まれました。
道子さんは、幼くして実の母と離れ離れになった
孝太郎氏と進次郎氏にとっては、「育ての親」でもあります。
父・純一郎は2人の息子に道子さんのことを
「ママ」と呼ばせていました。
お別れ会のときの純一郎氏の弔辞は、
この家族を知る人たちばかりでなく、この話によって、
初めて事実を知る人たちにも大きく胸を打つものがありました。
以下は、純一郎氏の弔辞の内容です。
本日は皆さま、お忙しいにもかかわらず、ありがとうございます。
亡くなる前日の午後、私が病院に見舞った際に、
『身体のどこか痛いか』と聞きました。『痛くないか』と言ったら、首を横に振って、
目を閉じたまま『ああ、ああ』と何か言いたそうでした。その日の夜、進次郎が見舞いました。
その際、進次郎が『進次郎だよ』と言ったら、
ぱっと目を開けて、ぐっと首を下げました。その翌朝、病院の院長先生、看護師の方、
そして同じ部屋に寝泊まりしておりました
純子(道子さんの娘さん)に見守られ、
穏やかに、永遠の眠りにつきました。故人は、生前本当に多くの方に慕われました。
弟の私が言うのも何ですが、
故人は本当によくできた人だと思っております。
優しく、謙虚で、しかもしっかりと我々、
留守がちの小泉家を守り続けてくれました。私が妻と離婚したとき、孝太郎は4歳、進次郎は1歳でした。
その時、家族、道子をはじめ家族が協力して、
孝太郎、進次郎に寂しい思いをさせてはいけないと思って、
できるだけみんなで協力しようと。なかでも、母親代わりとして中心的な役割を果たしてくれたのが、
故人でありました。孝太郎、進次郎は、2人に加え、
弟の子どもなど6人兄弟の中で孝太郎、進次郎は育ってきたと思います。幼児のときは常に、夜は一緒に添い寝してくれて、
学校に見送り、帰る。
帰ったら、必ず『ママ』がいる。母親代わりに育った孝太郎、進次郎には
『ママ』と呼ばせておりました。外に出ても、帰ってくれば、ママはうちにいて
優しく、温かく、明るく迎えてくれる。これは、孝太郎、進次郎の精神安定に
大きく寄与していたと思っております。いつか本当のことを孝太郎、進次郎に
言わなければいけないと思っておりましたが、
なかなか言いそびれておりました。孝太郎が高校2年生、進次郎が中学2年生になって、
2人を呼んで本当のことを伝えました>>>
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『ママは私の姉なんだ』と言ったら、
進次郎は『うそ!』と言いました。『いや本当だ。孝太郎、知っているか』と聞くと、
『知っていた』
『進次郎に言わなかったのか』
『言わなかった』ああ、そうか。高校2年生だけど、
言ったほうがいいこと、言わないほうがいいこと、わかっていたんだ。
いい子に育ってくれたなと思いました。
ここまで話すと純一郎氏は涙をこらえ切れず、
慟哭して言葉に詰まりました。
5秒、10秒経ち…。「スピーチの名手」と称された純一郎の感情が、
堰を切ったように溢れ出しました。
すぐ側に座る孝太郎氏は手のひらをぐっと握り締め、
ブルブルと上半身を揺らしています。
頬をつたう涙が止まりません。
進次郎氏はただ沈痛な面持ちで空の一点を見つめています。
『進次郎、ママは母親じゃないんだよ』と言うと、
『ボクにとっては本当の母親だよ』とはっきり言いました。道子は母親代わりじゃない。
実の母親として、孝太郎、進次郎を育ててくれたんだなと。
改めて感謝しています。晩年になって、もう手をかけなくていい。
放っておいても大丈夫だと思っているようでしたけれど、
故人にとっては孝太郎、進次郎が
健やかに成長しているのが何よりの生きがいだったと思います。我々は留守しがちですが、その中でいつも、帰ってくれば道子がいる。
我々の帰りを待って、毎日家におりました。晩年は孝太郎、進次郎が社会に出て、
テレビや新聞で活躍しているのを、大変楽しみにしていたようです。休みのときに出掛けるときは、いつも一緒。
孝太郎、進次郎は6人の中で元気に育ってくれた。その中心的支えをしてくれたのが、故人、道子でありました。
もちろん近所の方々、お茶をたしなんでいる方々、そして、
小泉家に携わる多くの皆さまの温かいご支援があったからこそ、
最後まで、死ぬ直前まで、意識がはっきりと、
安らかに永遠の眠りについた。大変代えがたいことだと思っております。
今日もこうして皆さんにお越しいただき、ありがとうございます。
泉下で故人も手を合わせて感謝していると思います。
皆さまのご温情に厚く御礼申して、喪主のあいさつに代えます、皆さま、本当にありがとうございました。
以上、純一郎氏の弔辞全文でした。
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