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【修羅場】結婚し子供が生まれ旦那実家で同居し始めたが毎日毎日義妹が子供を連れ遊びに来て自分の居場所がなかった。旦那に頼んで同居を解消したが旦那が「俺はお前の言う通り親を捨ててここに来た。今度は俺のやりたい事をやらせてもらう」 と言い出し…

そう宣言した通り、
借金して高級車を乗り回し夜な夜な遊び回るようになった。
生活費はローンに追われ、みるみる少なくなった。
子供の病院代も捻出できなくなる程の極貧生活。

何度訴えても
「生活出来なければ、また実家で同居すればいい」
の一点張り。
本当にクズな男だったが、私自身貯蓄もないため、
ただただ我慢するしかなかった。
当然子供の面倒も見ず、会話もなくなり、
そのうち給料は家賃分しか渡されなくなっていた。

そんな生活が何年も続いていた時、
今度は会社の部署の移動に納得出来なかった旦那が
仕事に行かなくなった。
会社は診断書があれば基本給が出る職場だったので、
心療内科で適応障害の診断書を貰い休職。
毎日パチ、酒、眠剤。
私は昼も夜もパートに出て子供の事だけを思い必死に働いた。

そんなある日、
旦那が眠剤と酒を一緒に飲んで泥酔状態で階段から転落。
頭を打って救急車で運ばれる。
意識不明の重体。
緊急手術をして命は助かったが最悪は植物人間。
意識が戻っても高機能障害で
普通の生活には戻れないと診断された。

とにかく現金が無かった私が最初にした事は高級車を売り、
当時まだ持ってる人の方が少なかった携帯電話の解約。
通帳を捜し出し、旦那の金の流れを初めて見た時は自分の目を疑った。
月に車のローンが8万。
携帯料金が7万。
10万の用途不明な返済。
そして通帳の残高が少なくなると
義母からン十万円単位の振込送金が何回もされていた。
見た事もない若い女と旅行先でのスナップ写真も見つけた。
夜の店領収書?やいかがわしい宿泊施設のタオル。

もう限界だった。
自分に経済力が無かったから我慢していたけど、とにかく別れよう。
父親らしい事は何もせず、夫婦関係もとっくに破綻している。
旦那も私達を引き留めはしないだろう。
そんな矢先、旦那の意識が回復する。

私はずっと働いていたので病院には義母がついていた。
意識が回復した知らせを受けて病室に入った私を見た瞬間、
旦那が病院中に響き渡るような声で泣き叫んだ。

「悪かった。俺が悪かった。
自分で好きな事ばかりやって罰が当たったんだ。
許してくれ。生まれ変わってやり直す。捨てないでくれ」
涙と鼻水とヨダレをダラダラ垂らしながら、
呂律の回らない言葉を何回も何回も叫んだ。

その姿を見るまで私の頭は離婚一択しかなかった。
いや、見ても頭では離婚するつもりでいた。
でも心がついて行かない。
こんなに弱って縋り付く相手を踏んづけて去れる人なんて
世の中にいない。
頭と心は全く別のものなんだと思ったこの瞬間が
人生最大の修羅場。

結果的に離婚はせずに2年後に旦那は死んだ。

生まれ変わるも何も、
さっき食べた朝食すら忘れてしまう状態だったので、
その2年間もまさに地獄だった。
ま、これは本人も地獄だったと思うので、
死の知らせを受けた時は正直言ってみんな安堵した。

みんなが苦しみから解放された。

葬儀が終って身辺整理したら、
まだ知らなかった借金が出て来たり、
義母に保険金の大半を取られたりしたけれど、
息子も墓を継がないと義母に宣言して縁を切り
今は平穏に暮らしています。

一緒に苦労した息子が成人したので吐き出し。

●コメント
> 義母に保険金の大半を取られたりしたけれど

ひでぇな



●コメント
お疲れ。
本物の修羅場を見た。

息子さんとあなたに幸あれ。

●コメント
なんて言っていいのか分からないくらいの修羅場。
貴方も息子さんも
これからもっともっと幸せになるよう祈ります。
お疲れ様でした。

●コメント
乙でした。でも奴隷体質ですね。

●コメント
>義母に保険金の大半を取られたりしたけれど、
受取り人は誰だったの?
義母じゃなければ取られるなんて無理だと思うけど

●コメント
ゲスパーすると、
「今まで息子ちゃんに散々お金出したんだから、
その分返しなさいよ、フジコフジコ」

みたいな事を言われて、
はっきり断れずに渡しちゃったんだろうて。
基本奴隷体質みたいだし

●コメント
まあ奴隷体質ってのはその通りだろうな

同居しててもいつもいつも義妹と買い物や旅行を
一緒にしなくてもいいだろうし、
昼夜働いていたならとっくに離婚出来ただろうし
それをでもでもだってと受け入れていたんだろう

■私
文章がわかりづらいようですみません。
義妹といつも一緒に行動していたのは義母です。
私は加わっていません。

保険金の話ですがそれは想像通り義母から言われました。

入院費用、葬儀代、墓代と全て義親が負担していたので、
言われて当然という感はありました。
保険金は少なかったけど、死亡退職金がかなり多く出たので、
手切れ金の意味も含めて渡しました。

あんなめちゃくちゃな生活の中で離婚しなかったのは、
かなり早い段階で精神的に旦那を切っていたからだと思います。
家賃だけ払ってくれる人と思い込めば
実際母子家庭と変わらなかったので。

下世話な話になりますが、結果的に寡婦になり、
退職金と公的年金を30年以上貰える事になったので、
あの時急いで離婚しなくて良かったなとも思います。
本当に結果論なんですけどね。

息子には本当に申し訳ない事をしましたが
「あんな大人にだけは絶対にならない。」
と真っ直ぐしっかり成長してくれました。
今では海外に飛んで仕事する私の一番の理解者です。

あの時の修羅場を思い出すとつい最近のようですが、
旦那が死んでから結婚生活と同じ位の年月が経ちました。
幸せな結婚生活は送れなかったけど、
今は充実した毎日を送っています。

レスくれた方々ありがとうございました。

●コメント
>幸せな結婚生活は送れなかったけど、
>今は充実した毎日を送っています
本当に苦労されましたね。
これからの日々がもっと幸せでありますように。

●コメント
ひたすらお疲れ様でした
これからはゆっくりしてください

引用元: ・今までにあった最大の修羅場 £76

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