*

【泣ける話】乳がんで片胸を切除した彼女。その彼女に癌が転移しているかもという連絡が入った。その後入院した彼女を見舞うと「私、左の足をひきずってるみたい」と彼女が言うのでそのことを先生に伝えた。すると…

「どうしようも・・・」と、少し涙を浮かべながら話してくれました。

やはり脳内にも転移していたんですが
「癌細胞の成長が早くて周りの脳を圧迫しながら進んでいる、
摘出したいが周りが柔らかくなっているので、今の医学では不可能なんだ・・・
私はもうぼろぼろに泣いていましたが勇気を出して
「どれくらい持ちますか?」と、聞きました。

入院はしているものの彼女はとても元気で
見るだけでは病人とは思えなかったのですが、
先生いわく
「何もしなければ2ヶ月、延命処置を取れば半年だろう」とおっしゃいました。
涙ながらにです。

私「治療しても半年??」
先生「治療とは言えない、延命処置だ・・」

その方法とは放射線治療の事で、
激しい嘔吐や脱毛、目まいを伴うものです。
私は考えました。



考えましたがとてもその場では判断出来る物ではありません。
せめて余命2年とかであれば抜けた髪も生え揃うであろう。

でも、半年なんて。

次の日、先生に外泊許可を得て自宅に帰る二人が居ました。

その夜、彼女のほうから「検査の結果、聞かせて・・・うそは無しで・・・」
と、言われ、私は言葉に詰りそうになりながらも彼女を信じ、正直にすべてを伝えました。

この瞬間が今までの人生で(未だに)辛かった時です。

言葉は省略させて頂きますが、二人ともぼろぼろに泣きながら、
でも、特に彼女は強く理解して残された人生をどう生きるか、決断をしました。

「退院して、少しでも楽しもう!」

翌々日、病院に帰り、先生に二人の考えを伝えたところ、
「頑張れよ!負けるなよ!」と励ましていただき2日後に退院しました。

その後すぐに旅行社に行き、新婚旅行の手配と、「結婚しました」の葉書を作り、
友人一同に送り、(彼女が病気だとは誰一人知らない)みんなで祝ってもらいました。

余命2ヶ月と言われながらも彼女は本当に頑張り、
退院4ヶ月後の「花の博覧会」にも(車椅子生活になりはしましたが)
行く事が出来、喜んでくれました。

しかし、病気は確実に進行し、まもなく自宅療養が不可能な状態になり、
再入院、雨の降りしきるある晩に意識不明になり、
翌朝私の腕枕の中で帰らぬ人となりました。

恥ずかしいながら、15年近くたった今、
「彼女のすべての強さ」に、私は追いつくことが出来て居ません。

前置きが長すぎるんですが、二人同居を始めた頃に
銀行の口座の暗証番号やらもろもろの番号を統一しようと、
二人の誕生日をたした「○△◇■」を決めて生活していたんですが、

彼女が亡くなってしまって、暫らくした頃に、公的な機関への書類提出で、
死亡診断書が必要になり、病院で2通取ったんです。

で、内1通がなぜか開封状態で手元に来たもので、見てしまったんです。

死亡原因、病名云々のなかに眼に留まった

死亡時刻、平成*年*月*日 ○△:◇■分・・・・・・・・

二人で決めた暗証番号が並んでいました。

きっと本当の偶然でしょうけれども、私は
「忘れないでね!」と、彼女が言ってると今でも思っています。

勿論死ぬまで忘れる事は無いでしょう。

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