ビートたけしさんのお母さんはどんな人?

ビートたけしさん、
1999年(平成11年)8月に母親が死去された際には、
通夜の後の記者会見で、
「オレを生んで良かったと思ってほしい…」
とつぶやき、その場で泣き崩れる姿を見せました。
そのたけしさんとお母さんとのエピソードです。
母、さきさんの5番目の子どもとして生まれたたけしさん。
「竹のようにどんなものにも耐えて、すくすく伸びてほしい」との願いから、
「武」という名前がつけられたといいます。
さきさんは、大変教育熱心な方だったそうです。
「おふくろは教育に対して、信仰にも似た独特な考えを持っていました。
貧乏の悪循環を断ち切るには教育しかない、
と言うんです。
『貧乏は輪廻する』つまり循環するというのがおふくろの説です。
それはおふくろ自身の体験から生まれた教訓なんです。
おふくろは、子どもたちが小学5年生になるまでは、
どの子にも鉛筆を削ってやり、
前夜のうちに教科書やノートの点検をしてやった。
そして朝10時になると、子どもたちがちゃんと授業を受けているか、
確かめに学校へ行った。
教室には入れないので、運動場の窓から様子を観察した。
そんな母親だったんです」
教育熱心だった母のあり方が功を奏し、
たけし少年の成績は優秀で、特に算数と図画工作が得意でした。
小学校卒業後は、母親が進学校を希望したため、
近隣の中学ではなく、遠く離れた足立区立第四中学校へ越境入学しました。
その後、1965年(昭和40年)に、東京都立足立高等学校を卒業し、
母親の薦めで、明治大学工学部機械学科に、現役合格し入学。
しかし、たけしさん、大学での生活には適応できず、
五月病を患うようになり、大学2年の時には、
家出同然に独り暮らしを始めました。
そのころは、新宿界隈で当てのない日々を送るようになります。
アルバイトや演芸で生活を始めたたけしさん。
大学に通う気も失せて、中退しました。
中退後は、アルバイトを転々とし、
フランス座、松竹演芸場などの舞台に出るようになり、
徐々に顔を知られるようになりました。
やがて、テレビ出演の機会にも恵まれるようになり、
お笑いブームの追い風もあって、人気を得るようになりました。
ビートたけしの兄には、大(まさる)さんという秀才がいます。
同じ母親に育てられた大さんは、研究者として成功し、
大学教授も務めた方でした。
一方でたけしさんは芸能の世界へ…。
子どもの勉学に厳しく、大学にまで入らせたのに
芸人の道を志した息子に、母は怒り嘆きました。
子どもの頃から厳しい勉強を強いられて、
窮屈な思いをしていたたけしさんは、これに猛反発します。
北野家においても、近所の体裁を考えて、
「芸人を目指した北野家の武」という存在は、
無かったことになっていました。
ツービートとして人気上昇中のビートたけし。
母親との関係はぎくしゃくしたままだったようです。
そのままたけしさんは有名人になっていきました。
そんなある日・・・
「ツービート」として活躍し出した頃から、
さきさんは、たけしさんにお金を無心するようになったそうです。
「とうとう金の亡者になったな」と半分あきらめながらも、
たけしさんは「小遣い」をさきさんに渡し続けます。
たけしさんは、そんな母親に「因業ばばあ」などと
悪態をつくこともあったそうです。
そんな中であのフライデー襲撃事件が起きました>>>
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たけしさんが当時交際していたとされる女性のもとに、
フライデーの記者が取材に訪問。
その際に強引な手法をとったことや、
女性にケガを負わせてしまったことに怒ったたけしさんが、
仲間を連れて出版社へ乗り込みました。
事件について、コメントを求められたさきさん、
「あんなどうしようもないのは、
死刑にでもしてください!」
と一喝してマスコミを驚かせました。
その後、その話を聞いたたけしさんは、電話で
「なんてこと言うんだよ!」と怒りました。
さきさんは、
「なに言ってんだい!ああでも言わなきゃ騒ぎが収まらんでしょ」
と返しました。
下手に「申し訳ない」と言ってしまえばなおさら叩かれます。
一番たけしさんを庇うべき存在がこき下ろせば、
マスコミの口も多少はふさがるだろう。
息子を思えばこそ、敢えて攻撃することで守った母の愛でした。
小遣いをせびる一方で、
時折、母親らしい姿を見せる母、さきさん。
たけしさんは、いったいどのように思っていたのでしょうか。
ある日、たけしさんのもとに、
さきさんが入院したという知らせが届きます。
当時、すでに知らない人はいない存在となっていた北野武。
このとき、あらためて母親の愛を知ることになります。
たけしさんがお見舞いに行くとさきさんは、
「今度おまえが来るときは、あたしは名前が変わってんだ。
戒名がついてるからさ。
葬式は長野で出すから、おまえは焼香だけ来りゃあいい」
と憎まれ口を叩いており、
まだまだ元気そうだなと思ったそうです。
その帰り際たけしさんは、お姉さんから
「たけしに渡してくれ」とさきさんに頼まれた紙袋を受け取ります。
紙袋の中には、一冊の通帳が・・・。
これまで「小遣いくれ」と言われ、
たけしさんが、いやいや渡してきたお金が、
1円も手を付けずに貯金されていたのです。
しかも自分の年金も少しずつ貯金し、
総額で一千万円近くにもなっていたそうです。
この時、たけしさんはお兄さんたちから、
「いつもおふくろは、お前のことを心配している」
と聞かされていたことを思い出しました。
さきさんがお金を無心するには理由があったのです。
芸人はいつ収入がゼロになってもおかしくない職業…。
にも関わらず、たけしさんは、入ったお金は全部使い切る、
そんなたけしさんにも、お座敷がかからなくなる時が必ずくるだろう。
そんな時のために…、というのがその理由だったようです。
たけしさんは、この包みを握りしめ、涙が止まらなかったといいます。
その後のビートたけしは、自ら母のことが大好きだと公言しています。
「30歳を過ぎて親を許せない奴はバカだ」
とも言っています。
愛情と熱心な教育を与えてくれた母の影響力は、
とてつもなく大きいものとして、たけしさんの中に残りました。
さきさんが入院しているときには、
頻繁に病室を訪れ、母の身をねぎらったといいます。
1999年(平成11年)8月、さきさんが亡くなった通夜の記者会見で、
たけしさんは「かあちゃん……」と吐き出すように口走り、
体を震わせて号泣しました。
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