*

May J.さん ”なりふり構わず”から開けた活路

b859
ay J.さん。

2014年、映画「アナと雪の女王」の日本版主題歌を担当し、
それをきっかけに、多くの人にその歌唱力を評価されるようになりました。

そのMay J.さんは、ブレイクの少し前までは「どん底」状態にありました。

どんな「どん底」であり、そこからどうやってチャンスをつかんだのか、
ご本人の手記をお読みください。

小さいころから、歌が大好きでした。

十八歳で歌手デビューしてから、なかなかヒットを出せなくても、
歌を歌えるだけで毎日が幸せでした。

そして懸命に、誠実に力を尽くせば、
きっといつか多くの方に私の歌声を届けられる……
そんな希望を抱いていました。

その希望を見失いかけたことがあります。

デビュー5年目、6枚目のアルバムを出したときのことでした。

そのアルバムは、なかなか成果を出せない私にとって、
「正念場」の1枚でした。

今度こそ多くの方に聞いてもらえるよう、
渾身の力で臨まなくてはいけない。

そう考えて、全曲作詞にも挑戦。

自分の中にあるすべてを注ぎ込んだ一作でした。

しかしその作品は、思ったような結果を出すことが出来ずに終わったのです。

さすがの私も、暗い気持ちになりました。

それまでは、どのような結果でも
「次がある」と思えたのですが、この時ばかりは無理でした。

すべてを出し切ったのにダメだったのなら、
次は何をすればいいのか……。

完全に、道を見失っていました。

「正念場」で自分を見失ったというMay J.さん。
どうやって、ここから立ち直ることができたのでしょうか?

スポンサーリンク




↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓

レビのカラオケ採点番組への出演オファーを受けたのは、
まさにそんなときでした。

私は二つ返事で、承諾しました。

「プロなのに、カラオケ?」
「しかも素人の方と競うなんて……」
などという迷いは、まったくありませんでした。

目先のプライドにこだわっている場合ではなかったのです。

そのとき考えたのは、
たとえカラオケでも、心に響く歌を歌おう!
ということです。

採点も重要ですが、それ以上に、
視聴者の心を揺さぶりたい、と思っていました。

結果は、予想以上の大反響。

私の声は多くの方の耳に届き、
私のキャリアは、この番組で大きく転換したのです。

あのとき、私が「どん底」にいたことは、
むしろ幸運でした。

打つ手がなくなって途方に暮れていたからこそ、
「どんなチャンスも逃すまい」
と思えたのですから。

そうしてなりふり構わず飛び込んだおかげで、
歌手としての幅も広がりました。

R&B歌手として活動してきた私は、
初めてJ-POPや歌謡曲を歌い、新たな可能性に気づきました。

自分の好きなR&Bを、
自分の言葉で歌うことだけが「表現」ではない、
と知ったのです。

多くの方が聴きたがるような、
よく知られた名曲を歌うこともまた、
人の心を動かす素晴らしい表現方法だと思いました。

そんな私にとって、
映画「アナと雪の女王」のエンディングで、
主題歌「レット・イット・ゴー ~ありのままで~」を
歌わせていただいたことは、とても有り難く幸福な経験でした。

とはいえ、あのときは思わぬバッシングも受けました。

ただ戸惑い傷つきました。

それでも、私の歌う「レット・イット・ゴー」を
愛してくださる方もいます。

ライブで歌えば、客席の方々が皆笑顔になります。

「そんな皆さんに歌声を届けるのが、私の役目」
だと思えば、勇気と元気が湧いてきました。

昔の私ならこうは思えず、バッシングに負けていたかもしれません。

どん底を経験したことは、ここでも役立っているようです。

大好きな仕事でも、辛いことはある。

注目を浴びると、悪く言われることもある。

どんな物事も「良いことばかり」ではないと、
自然に受け止められるようになりました。

そして、どん底でチャンスをつかんだ経験から、
物事が「悪いことばかり」でもないことを知ったのです。

一喜一憂せず、そのときにできることを一所懸命すれば、
きっとどんなことも乗り越えていける。

そう信じて、これからも歌い続けていきたいと思っています。

出典元:PHP特集「いいことも悪いことも受け止める」より

シェアする

人気記事ランキング


no image
大谷翔平 サヨナラ満塁弾「40-40」達成 史上6人目

またまた大谷翔平選手がやりました! 大リーグ、ドジャースの大谷

no image
【スウィートメモリー】松田聖子

決して思い出は甘いものばかりじゃないけど、 ♬失った夢だけが美しく見

no image
【前略おふくろ様】秀次先輩への複雑な気持

さぶちゃんは、チンピラとちょっとした諍いを起こし、 バックにいるゴク

no image
【また逢う日まで】尾崎紀世彦

歌唱力抜群のこの人が、この曲でテレビに出始めたのが1971年でした。

no image
【トランプへの銃撃】 米ペンシルベニア州で演説中に発砲音 

アメリカのトランプ前大統領が選挙集会を行っていた会場で、 複数回の発

→もっと見る

  • まだデータがありません。

CLOSE
CLOSE
PAGE TOP ↑