お母さんのマフラーが教えてくれたこと
テレビのコメンテーターとして活躍しつつ、
新聞にエッセーなどの連載を持っています。
中江さんは、小学校のころ、
お母さんからある考え方を教わりました。
ほんのちょっとした出来事でしたが、そのときのことが、
その後の中江さんの生き方に大きい影響を与えたといいます。
子どもの頃から手先を使うこと、
ものを作ることが好きでした。小学校高学年になると手芸部に入りました。
部活動は楽しかったのですが、
課題があることをすっかり忘れていたのです。明日が期限というのに、
課題のマフラーは半分ほどしか編めていませんでした。これから夜なべをしても完成するとは思えない。
半泣き状態でいると、見かねた母が言いました。
「泣いても出来ないで」
そうして、お母さんは中江さんの手から、
未完成のマフラーを受け取りました。
お母さんがそこでやって見せたこと、
それが小学生の中江さんへの大きな教訓になったのでした>>>
↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓
母は未完成のマフラーを手にすると、
なんとマフラーの端と端をつなぎ合わせたのです。「ほら、腹巻きが完成した」
「帯に短し、たすきに長し」と言いますが、
マフラーに短いなら、輪にして腹巻きに、という発想の転換。面白い上に実用的なアイデアに驚き、
涙が吹き飛びました。翌日、その腹巻きを学校に持って行くと、
なんと課題の期限を守ったのはわたしだけだったのです。「中江さんを見習いなさい」
と先生が腹巻きを高く掲げておっしゃった時は、
ちょっぴりの恥ずかしさと
母の機転で完成させることが出来た誇らしさで
胸がいっぱいになりました。この経験は、強烈にわたしの中に焼き付きました。
「最後まであきらめず、次の道を探す」
という教えになったように思います。
中江さんは、15歳の時、
大阪から上京して芸能界に入りました。
学業と仕事の両立がうまくいかず、
定時制の高校を含め三度の転校をしました。
学校に通えない日々が続き、結局退学を迫られました。
最後は通信制の高校に通い、
高校を卒業できたのは20歳になっていました。
それでも、文学の勉強に対する熱意があり、
法政大学への入学を果たすことができました。
学校をやめても、学業を続けることはできる。
そのように文学への学びを続けたことが、
自分のキャリアとなり、現在の仕事に役立っていると、
中江さんは語っています。
マフラーを腹巻きに変身させた母のアイデアが、
「あきらめない」というきっかけをくれましたが、
あきらめないで頑張るのは自分です。だからいつもピンチになると、
「よしチャンスが来た」と思うようにしています。ピンチをチャンスに変えるのに必要なのが、
あきらめない力。どんなときも楽しむことをあきらめない。
そうすればピンチは、楽しむチャンスになるのです。
人気記事ランキング
従兄に抱かれてから、体が疼いて堪らなくなった私
【稀勢の里】日馬富士に敗れ、その後、救急車で病院に
【松田聖子】抱いて…
【原英莉花】女子ゴルフで、今期待の星と呼ばれる人
【佐々木朗希】 球審白井にキレられる
【稲垣潤一 & 小柳ゆき】♪悲しみがとまらない
俺が三年間片思いした女の子との少しエロい体験談を聞いてくれ
大学生で童貞だった俺…憧れの人妻が初体験で生ハメ中出しセックスさせてくれた話
巨乳アシスタントのプチ枕営業
【ノブ&フッキー ぴんから兄弟 女のみち】 -
-
【見た目は普通のサングラス。しかし女性にとってこのサングラスは…】
19歳のケイトリンには色が見えません。 ある日、彼女のもとに色覚を補助してくれる 通称「色盲
-
-
遠い日の夢は生死の境での脳のいたずらだったのか
俺がまだ中二の頃の夏休み、友達4人で釣りに行った帰り、 突然大雨が降り出した。 俺達4人は周辺の木
-
-
【この女性は20歳で結婚した】50年後 彼女は勇敢な行動にでた
20歳で結婚、夫は3人の子供を残して失踪。 女手一つで子供たちを育てる日々。 いくつもの仕事を掛け持
-
-
【特集】「ここに残って!」町民から愛されるお巡りさんは駐在勤務30年
“愛媛県は久万高原町に「名物お巡りさん」がいる” その情報をキャッチして勤務先の駐在所に向か
-
-
【この女性は20歳で結婚した】50年後 彼女は勇敢な行動にでた
女性は20歳で結婚、夫は3人の子供を残して失踪しました。 女手一つで、3人の子供たちを育て上げます。






