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お母さんのマフラーが教えてくれたこと

b876
江友里さんは、女優で作家業。

テレビのコメンテーターとして活躍しつつ、
新聞にエッセーなどの連載を持っています。

中江さんは、小学校のころ、
お母さんからある考え方を教わりました。

ほんのちょっとした出来事でしたが、そのときのことが、
その後の中江さんの生き方に大きい影響を与えたといいます。

子どもの頃から手先を使うこと、
ものを作ることが好きでした。

小学校高学年になると手芸部に入りました。

部活動は楽しかったのですが、
課題があることをすっかり忘れていたのです。

明日が期限というのに、
課題のマフラーは半分ほどしか編めていませんでした。

これから夜なべをしても完成するとは思えない。

半泣き状態でいると、見かねた母が言いました。

「泣いても出来ないで」

そうして、お母さんは中江さんの手から、
未完成のマフラーを受け取りました。

お母さんがそこでやって見せたこと、
それが小学生の中江さんへの大きな教訓になったのでした>>>

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は未完成のマフラーを手にすると、
なんとマフラーの端と端をつなぎ合わせたのです。

「ほら、腹巻きが完成した」

「帯に短し、たすきに長し」と言いますが、
マフラーに短いなら、輪にして腹巻きに、という発想の転換。

面白い上に実用的なアイデアに驚き、
涙が吹き飛びました。

翌日、その腹巻きを学校に持って行くと、
なんと課題の期限を守ったのはわたしだけだったのです。

「中江さんを見習いなさい」
と先生が腹巻きを高く掲げておっしゃった時は、
ちょっぴりの恥ずかしさと
母の機転で完成させることが出来た誇らしさで
胸がいっぱいになりました。

この経験は、強烈にわたしの中に焼き付きました。

「最後まであきらめず、次の道を探す」
という教えになったように思います。

中江さんは、15歳の時、
大阪から上京して芸能界に入りました。

学業と仕事の両立がうまくいかず、
定時制の高校を含め三度の転校をしました。

学校に通えない日々が続き、結局退学を迫られました。

最後は通信制の高校に通い、
高校を卒業できたのは20歳になっていました。

それでも、文学の勉強に対する熱意があり、
法政大学への入学を果たすことができました。

学校をやめても、学業を続けることはできる。
そのように文学への学びを続けたことが、
自分のキャリアとなり、現在の仕事に役立っていると、
中江さんは語っています。

マフラーを腹巻きに変身させた母のアイデアが、
「あきらめない」というきっかけをくれましたが、
あきらめないで頑張るのは自分です。

だからいつもピンチになると、
「よしチャンスが来た」と思うようにしています。

ピンチをチャンスに変えるのに必要なのが、
あきらめない力。

どんなときも楽しむことをあきらめない。
そうすればピンチは、楽しむチャンスになるのです。

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