君の両手を使ってやってほしいことはこれです
『ついにやった…』とひときわ深い感慨をかみしめた
一人の青年がいた。
それは、日本で初めて両手のない中学校教師が誕生した瞬間だった。
小島裕治さん(28歳)。
彼がここに至るまでの道のりは簡単なものではなかった。
4歳の時、横断歩道を渡る途中、ダンプカーにはねられて意識不明。
気が付いて包帯をとると、自分の両腕がなかった。
その日から彼の生きる闘いが始まった。
両親の励ましに支えられて、努力の末、食器を足で持って食べ、
泳ぐこともできるようになった。
しかし、小学生の頃は「手なし人間」とからかわれたり、
遊具に一緒に乗れなくて親友から『遊んでもおもしろくない』
と突き放されたりした。
悲しかった。
次第に自分を冷めた目で見るようになって、
高校時代には友達を作ろうとも、学校を楽しもうとも考えなかった。
ある日、入部していた国際協力クラブの顧問教諭から、
『殻を破れ、バカになれ』と声をかけられた。
そして、2年生のクリスマス。
留学生を囲む会で、他の部員達がみな尻込みするのを見ていて、
『ハッ』とその言葉が頭によぎった。
彼自身を変えるターニングポイントの瞬間が訪れた>>>
↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓
意を決して留学生に歩み寄り、
『Hi! How are you?』と片っ端から声をかけて回った。
「笑いたいやつは笑え。どうとでもなれ」という気持ちだった。
その瞬間、彼の中で未来の扉が音を立てて開き始めた。
大学時代はニュージーランドに留学。
ある日、訪問した小学校で、右足でペンを持って名前を書いた。
一瞬シーンとしたが、次の瞬間、
『信じられない!』という子供達の大歓声が起こった。
この時の経験から、彼は『教師になりたい』
という夢を持つようになった。
そして、教師になるための闘いが始まった。
今まで『前例がない』という理由で、普通学校への入学は渋られ、
アルバイトも断られたが、やはり就職も同じだった。
公立校の教員採用試験には二度挑戦したが不合格とされ、
私立校も軒並み不合格だった。
それでも彼は夢を捨てなかった。
そして、三度目の挑戦で、ついに合格を勝ち取ったのである。
彼は今、愛知県西尾市で
中学校の英語教師として教壇に立っている(2009年時点)。
黒板の前で高いイスに乗って、右足を顔の高さまで上げて、
足の親指と人差し指の間にチョークを挟んで、文字を書いている。
だからこそ彼は、世の中で両手を使った陰惨な事件が起きるたび、
『どうして?』と感じる。
母校の高校で教育実習をしたとき、
最後の授業で、みんなにこう言った。
「両手を開いてごらん」
そして、こみ上げる思いを抑えながら訴えた。
『みんなには両手がある。
人を傷つけたり、不幸にしたりするためではなく、
夢を叶えるために使ってほしい』
参考:日経新聞 2009年3月22日付の記事より
人気記事ランキング
- 【いつもありがとう】手話でハッピーバースデー♪
- 【甲子園 アナザーストーリー】挫折球児が輝く場所
- 遭難しかけた妻が車の中で複数の男に襲われた
- 【ひたすらにキモイ】夫婦そろって不妊が発覚したとたん旦那が幼児退行した。服も自分じゃ脱がなくなり、お弁当にはふりかけ必須。ある日、お弁当に卵焼きを入れたのにノリタマをつけてしまったら、会社を早退してきて大暴れしたので、耐えられなくなってそのまま離婚に持ち込んだ。そしてその後来たロミオメールがこちら…。こいつ何も分かっちゃいねぇ…。
- 【少し考えさせられるタイCM】スマホよりスキン
-
【僕らの手には何もないけど】
羊の母子の絆を描くショートアニメです。 子供を亡くしたお母さんは、 悲しみにふさいでいます。 子ひつ
-
【頭がペットボトルから抜けない犬】
野良犬の頭がペットボトルに刺さり、 抜けなくなってしまいました。 どうしてこんなことになった
-
【神がかり逸話@さんまちゃん】元妻大竹しのぶの本から
明石家さんまちゃんが、 大竹しのぶさんと結婚したころのお話しです。 しのぶさんの子の二千翔(ニチカ)
-
【“自粛しない人”に】約6割「腹立たしさ覚える」
政府が緊急事態宣言を出していた 期間に関する調査で、人と人との接触削減など 対策をしない人に「腹立た
-
娘が六年生の運動会で学んだこと
今はもう18歳になった娘が、小学校六年生の時の運動会のことです。 最近、危険だから禁止の対象として