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その通信制の高校生たちが野球にこだわったわけは?

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城県水戸市に私立の「水城高校」があります。

毎年、最難関の東大・京大など国公立大学に
150名前後の合格者を送り出す進学校でありながら、
スポーツにも熱心な学校です。

2010年、2011年には野球で甲子園にも出場しました。

この高校の校長先生は、山野隆夫さんという方です。

山野さんご自身は、かつて水戸一高の高校球児でした。

大学では野球はやらなかったそうですが、
その後高校教師となり、行きがかり上、
野球部の監督になったことがあります。

その時の心温まるエピソードです。

山野さんは、水戸南高校という通信制の高校に赴任しました。

水戸南高校は、通信制にしては珍しく、硬式の野球部がありました。

ただ、山野さんが水戸南高校に赴任した当初は、
野球部の監督も他にいましたし、
山野さん自身ももう野球に携わる気持ちはありませんでした。

ところが、その野球部の監督をしていた先生が転勤になり、
学校の中で野球部の監督をできそうな人は、
山野さんだけという状況になりました。

山野さんは、皆から懇願され、監督を引き受けることにしたのです。

しかし、監督を引き受けたものの、
当時の水戸南高校の野球部は、
ハッキリ言ってかなりの弱小チームでした。

トスバッティングはおろか、キャッチボールもままならず、
さらに、部員たちのグローブも軟式用だったり、
ボールもボロボロのものが20個あるだけという有様でした。

高校野球というようなレベルではなかったようです。

ただ、そうした中でも、選手たちはとても必死でした。

朝5時に起きて一日立ち仕事をし、夕方から授業を受けて、
夜の9時から11時まで練習をする。

そして、ヘトヘトになって帰り、
また次の朝5時に起きて仕事に行くのです。

そんな選手たちの姿を見て、ある日、山野さんはこう思ったそうです。

「何でコイツらはこんな辛い思いをして、
 毎日野球を続けるんだろうか?勝ちたいからなのか?
 それとも、単純に野球が好きだからなのか?」

前任監督の義理だけで、グランドに立つ自分が、正直辛かったのです。

そして、山野さんは満を持して選手たちに問いかけてみました。

「お前ら何で硬式なんだ?今まで野球やったことあんのか?
 金もかかるから軟式で良いんじゃないのか?」

その問に対する選手たちの答えに、
山野さんはとんでもないショックを受けました>>>

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球は、夏の大会の前には、出場各校の部員全員の名前が新聞に載ります。
 また、球場に行けば、写真入りの冊子に自分が載ります。
 軟式は分からないけど、硬式は確実に載るんです。
 だから、僕たちは野球で頑張っているんです」

山野さんは、最初聞いたときは、
何を言っているのか意味が分かりませんでした。

しかし、その答えは、他の選手に聞いてみても同じ。

そこで、山野さんはもう少し選手に聞いてみました。

「どうして新聞や冊子に名前が載るのが良いんだ?
 そんなに名前が載りたいのか?」

選手たちの答えはこうでした。
「父ちゃんか、母ちゃんが、新聞や冊子を見て、
 俺の名前を見つけてくれるかもしれないと思って」

そう。実は、この水戸南高校の選手たちの多くは、
近くの孤児施設出身の子どもたちだったのです。

顔も知らない、記憶にも無い親に会えるかも知れない大きなチャンスが、
この夏の県予選だったのです。

そんなことも知らず、自身は野球のレベルのことを考えたり、
義理でグランドに立っていた自分が情けなくなり、自分を恥じたそうです。

それからというもの、山野さんは母校関係者からボールを掻き集め、
朝練も始めました。

そして、それでもまともなユニフォームも無かったので寄付をお願いし、
背番号は墨で書きました。

当然ながら、夜の練習にもより一層熱が入りました。

その夏、水戸南高校は、県予選に出場しました。

試合は0-38。1回戦で敗れてしまいました。

しかし、山野さんは恥じる気持ちなど一切なく、
選手たちをとても誇らしく思ったそうです。

この体験が、この現・水城高校校長である山野さんの原点。
『野球はすべてを結集させる』という信念が生まれた瞬間でした。

そしてその後も、山野さんは荒廃し、
野球部も休部状態だったような高校を、野球の力を使って立て直したり、
その信念を貫き通して、ここまでやってきたのです。

そして2010年夏のこと、自身が校長を務める水城高校で、
初の甲子園出場を果たしました。

この水城高校は、私立校ではありますが、
「単純に良い選手を野球留学させて、強くしましたよ」
というチームではありません。

山野さんの高校野球に対する信念が、選手たちを強烈に支援し、
ノーシードのノーマークから、甲子園出場へと押し上げていったのです。

いまや夏の甲子園、たけなわです。

スポーツの勝ち負けに一喜一憂するのも楽しいことですが、
こうした舞台裏のエピソードが、
その戦いにひと味も二味もスパイスを加えてくれるようです。

参考URL:http://kiyotoshiaraki.hatenablog.jp/entry/20100730/1280454982

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