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神様はときに偉大な人から先に天国に迎えます

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ジャーリーグでは1年に1人、人格的に優れ、
慈善活動を積極的に行っている選手に賞が贈られます。

その賞は1971年に設立され、
当初は「コミッショナー賞」と呼ばれていました。

しかし1973年、この賞の名前は
「ロベルト・クレメンテ賞」と変更されることになります。

ロベルト・クレメンテとは、プエルトリコ出身のメジャーリーガーで
「ペンシルバニアで投げたボールがニューヨークまで届く」
と称された強肩選手です。

12回のゴールデングラブ賞、4度のリーグ首位打者獲得など、
輝かしい成績を収めました。

プエルトリコの野球選手には、
今もなお彼に憧れている人が多いといいます。

しかし、多くの人々が彼に憧れたのは、野球だけのことではありません。

彼はシーズンオフに慈善活動を積極的に行っており、
選手としてだけでなく、人間としても高く評価されていたのです。

そんな彼にとんでもない不幸が訪れます。

その不幸こそが「ロベルト・クレメンテ賞」
への名称変更の理由なのですが>>>

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1972年12月31日、
ニカラグアで起こった地震の被災者を救うため、
彼はたくさんの救援物資とともに飛行機に乗り込みました。

しかし、その飛行機がプエルトリコ沖で墜落。

彼は帰らぬ人となってしまったのです。

この死を受けてメジャーリーグ機構は、
事故の翌年に彼をアメリカ野球殿堂入りとしました。

通常、殿堂入りをするためには、どんな名選手でもある程度の期間を要します。

彼の殿堂入りは特例といえるものでした。

そして、彼が慈善活動に積極的であったこと、
また事故死したのも、まさに慈善活動中の出来事であったことから、
メジャーリーグ機構は彼の栄誉を称え
「コミッショナー賞」を「ロベルト・クレメンテ賞」と改称したのです。

参考本:ちょっといい話  出版:アルファポリス文庫 著者:佐藤光浩

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