赤十字社を作った人は破産し、その後施設で発見された

戦争や災害が起こったとき、国や立場、敵味方に関係なく、
人々を支援する赤十字社。
この団体は、スイス人の実業家、アンリ・デュナンの
提唱により創立されます。
しかし、そのきっかけは意外なものでした。
銀行員だったデュナンは、商用で
フランスの植民地であるアルジェリアを訪れ、
この地で製粉会社を興すことを決意します。
しかし、製粉を行うための水の利権を
うまく獲得することができません。
そこで、彼は当時のフランス皇帝、ナポレオン3世に
利権を求める直訴をしようと考えます。
ところが、当時のフランスはイタリアの覇権を巡り、
オーストリアと戦争を行っていて、
ナポレオン3世もイタリアに遠征していました。
戦地にいるナポレオン3世を追って、
彼もイタリアに向かいます。
デュナンが戦場に近い街に到着したのは、
「ソルフェリーノの戦い」と後世に語り継がれる
激戦が繰り広げられた翌日のことでした。
そして、そこで彼が目にしたのは、
満足な治療を受けることができず、
街路に捨てられたように横たわる、負傷者たちの姿でした。
この光景を目にしたのが、
アンリ・デュナンのその後の運命を決定づけました。
彼の心の中に嵐が吹き荒れました。
目の中には稲妻が走りました。
彼の胸の底から、
革命のような抑えがたいものが
湧きあがってきたのです。
この悲惨な状況を目の当たりにして、
彼には「何としても、この人たちを助けなければ」
という強い思いがこみ上げてきました。
そして、街の住民たちに声をかけ、
負傷者を教会などに収容します。
水の利権を得るという目的もすっかり忘れ、
自らの衣服を包帯代わりにするなどして、
必至に治療を行いました。
しかし、彼は医者ではありません。
包帯も薬もありません。
多くの兵士たちが、治療の甲斐なく死んでいきました。
失意のうちにスイスに帰国したデュナンは、
自分が見たことを「ソルフェリーノの思い出」という
1冊の本にまとめます。
そこで彼は、敵味方や国に関係なく、
負傷者を治療する組織が必要だと訴えました。
そして、彼の考えは多くの共感を呼び、
赤十字社の設立へつながっていくのです。
ただ、その後の彼の私生活は、
はた目には幸せに見えなかったかもしれません。
豊かさとはほど遠いものだったからです。
たとえばこのように>>>
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デュナンは赤十字社の創立に尽力するあまり、
製粉会社を倒産させ、自らは破産してしまいました。
それから約30年、
スイスの養老施設にいたデュナンを、
ある新聞記者が発見するまで、
彼の消息は誰にも分かりませんでした。
その後、彼は第1回ノーベル平和賞を受賞しますが、
賞金はすべて赤十字に寄付し、
自分はロシア皇后から贈られた終生年金のみで、
慎ましくも穏やかな老後を送ったといわれます。
はた目に幸せに見えなかったかもしれない、
と前記しましたが、ご本人にとっては
幸せに尽きる生き方だったとも想像されます。
人により、幸せの定義はさまざまでしょうが、
自利(エゴ)から他利(他者を利すること)に目覚めるほど、幸福なことはないといいます。
さらにそれを貫いた人は至福の中にいたのかもしれません。


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