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山本昌広さん、どん底から立ち上がったきっかけは

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年50歳で引退した元プロ野球投手の山本昌広さん。

現役最年長選手として、多くの人に感動を与えてきました。

32年間もの間、プロの最前線で活躍してきた、
その精神力と肉体の強靭さには目を瞠るばかりでした。

山本昌さんの言を借りると、
もともとの自分は、そんな大それたことのできる人間ではなかった、
と述べています。

以下、山本昌さんの談話です。

もともと私は、プロに入るべき選手ではありませんでした。

中学では補欠、高校では県ペスト8止まり、
ドラフトの順位も下位の5位指名。

鳴かず飛ばずで、最初の4年間は1勝もできていません。
毎年クビの候補で、寮の電話が鳴るたびに、
球団からの解雇通告ではないかと、部屋で怯えていました。

そんな山本昌さんに転機が訪れたのは、5年目のシーズンでした。

アメリカのフロリダへの野球留学です。
ドジャース傘下のマイナーリーグ・チームに
所属することになりました。

戦力外の一歩手前を意味する球団からの指示だったそうです。

アメリカに渡ったばかりの山本さんは、
全くやる気が出ませんでした。

地球の裏側でいくら頑張っても、一軍になれるわけでもなく、
大リーガーになれるわけでもない。

日本に帰ればクビかもしれない。

何をしても意味がない。

そんな心境の山本さんが徐々に変わり始める
きっかけになることがありました。

シーズン開幕前に開催されたパーティーでのことでした。

日本でいう決起集会のような感じで、
チーム関係者や街の人たちが集まって、
その場で、選手全員が順番にスピーチをするのです。

そこで山本さんは、驚く場面に出くわしたのです>>>

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軍のメンバーひとりひとりのスピーチに、
山本さんは驚きました。

みんな
「優勝しよう」「俺たちがやるんだ」「見ててください」
と熱く語るのです。

日本の感覚では、
「優勝は一軍がすればよくて、二軍は練習の場だろう」
と思っていた山本さんは、なんだか恥ずかしくなったといいます。

仲間の思いを聞くうちに、
「日本の野球選手は、こんなもんかと思われたくない」
というプライドも芽生えてきました。

こんなモチベーションが働けば、
技術面でもいい流れが訪れてくるものです。
…それも突然に。

以下、山本さんの談話です。

シーズンが始まってしばらくたった頃です。

練習中に内野手がキャッチボールをしているのを、
たまたま見ていました。

すると、あるメキシコ人選手が”遊びで”変化球を投げていて、
これがなかなか良いボールなのです。

「ちょっと教えてくれ」と頼んで、
ボールの握り方と投げ方を聞きました。

その通りにやってみたら、これが曲がるんです。

翌日、一、二球練習しただけでマウンドに上がり、
早速試合で投げてみました。

すると、相手の四番打者が空振りの三振。

「これは練習しなければ」と思いましたね。

そこから自分なりに練習して習得したのが、
私の代名詞にもなった「スクリュー」という変化球でした。

それまでずっと努力はしていましたが、
良くなるきっかけが掴めずにいました。

しかし、新しい球をマスターした途端、
それまでが嘘のように流れが変わりました。

先発に昇格し、日本で一勝もできなかったのに、
一転して13勝もできたのです。

その後、優勝争いをしていたドラゴンズの一軍から呼び戻され、
日本でも初勝利を挙げました。

実はこの時、アメリカでの所属チームも
優勝を争っていたので、「帰らない」と言い張りました。

球団職員に説得されて渋々帰国したのですが、
チームメイトに別れの挨拶をした時には号泣しましたね。

最初はあれほどイヤだったアメリカなのに(笑)。

「スクリュー」という一つのボールが、
私の野球人生を大きく変えてくれました。

やる気のない、どん底からスタートしたアメリカでの留学生活に、
その後の私に繋がるとんでもないチャンスが転がっていたのです。

そういえば、私に変化球を教えてくれたメキシコ人選手は、
あの日の二カ月後に解雇されました。

練習にいないので、「どうした?」
とチームメイトに聞いたら、「クビだよ」と。

もしあのタイミングで聞いてなかったらと思うと、
……ゾッとします。

「よくぞ聞いた!」
と、当時の自分に言ってやりたいですね。

見逃していたら、今の私はなかったですから。

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