スカイダイビング中に「パラシュートが開かない!」

考えたくもないことですが、
もしもスカイダイビング中に
パラシュートが開かなかったら、どうなるでしょうか。
アメリカでそんなまさかのアクシデントが、
スカイダイビング初体験のシャーリー・ダイガートさん
(当時54歳)を襲いました。
一緒に飛んだインストラクターはデイブ・ハートソックさん。
2人が飛んだのは2009年のことでした。
かねてからスカイダイビングをしたかったシャーリーさんは、
自分の誕生日のご褒美にと、
タンデムジャンプ(1つのパラシュートに2人をくくりつけて飛ぶ)
を申し込みました。
インストラクターのデイブ・ハートソックさんは、
いつもしているように飛行機から飛び降りました。
初めての落下をシャーリーさんは楽しんでいたのですが、
パラシュートを開くためのコードをデイブさんが引っ張っると、
正常に開かないというアクシデントに見舞われます。
恐ろしい勢いで回りながら地上へと落ちていく2人。
デイブさんは、パラシュートを放出するためのコードが、
2人の体の間にはさまっていることに気づきました。
しかしスピンしながら落下している状況では、
どうしてもコードに手は届きません。
2人の体がぴったりと密着していることから、
デイブさんは全く身動きがとれなくなってしまったのです。
シャーリーさんが何が起きているかを尋ねると、
デイブさんは「とても大きな問題を抱えている」と伝えました。
デイブさんに残された選択はたった1つで、
予備のパラシュートを開けることでした。
ところが予備を広げたとたんに、
最初のパラシュートにもつれてしまい、
2人はさらにスピンしながら落下し続けたのです。
「もう終わりだと思いました。
こうやって自分は死ぬのだと思いました」
と振り返るシャーリーさん。
地上までわずか500フィート(約150m)というところで、
デイブさんは「ある決断」を下しました>>>
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シャーリーさんに足を上げるように指示すると、
2人の位置が入れ替わり、デイブさんが下になりました。
デイブさんがシャーリーさんのクッションになるためです。
そして地面に衝突。
デイブさんは一命を取りとめたものの……
右腕が少し動くことを除くと、首から下は麻痺しました。
そのときのことをデイブさんは、こう語っています。
「ヒーロー的な行為だと人に言われたが、
そのときの安全に関しての責任は完全に自分にあり、
それが一番正しい行いだったと思っている。
他にどんな選択があったと言うんだい」
その後も、気持ちを明るく持っていたというデイブさん。
シャーリーさんが入院中の彼に感謝を伝え、
元気づけようとお見舞いに行くと……
むしろデイブさんが彼女を笑わせ、
またスカイダイビングをしようと提案してきたそうです。
「僕たちは事故プルーフだ。
だって2度もそんな事故に遭う人はいないからね」
とデイブさん。
シャーリーさんはデイブさんのおかげで
孫の成長も見ることができる、と感謝の気持ちを伝えています。
責任ある立場とはいえ、
自分の命を投げ出すデイブさんのプロフェッショナルな行動に対し、
海外サイトでは多くの人が素晴らしいと称賛していました。
出典元サイト:http://labaq.com/archives/51851299.html


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