「 お年寄り 」 一覧
【僕は金メダル】ありがとうを伝えたい人
「金ちゃん、今日も遅うまで練習しょうるかなぁ」 これが、六月に亡くなった祖父の夕飯時の口癖だったようだ。 金ちゃん、というのは僕のこと。 金メダルの金ちゃん。 「潤は、じいちゃんの金メダルじゃからな
ごめん、おふくろ。我慢出来んかった
もう20年以上前だが、 当時高校生だった兄が、ボロボロになって帰ってきた。 よくケンカをして、生傷の絶えない兄だったので、 別段めずらしいことではなかったのだが、 その日はいつもと違っていた。 何と
老人ホームへのボランティアで教わったこと
私たちは、いわゆる「戦争を知らない世代」と言われています。 生まれた時からなんでも身の回りに揃っていて、 何不自由なくここまで過ごすことができました。 どうにも出来ないような天災を除き、 個人的な不
おばあちゃん、この留守電は一生消さへん
30歳になった次の日、朝っぱら、 突然の実家からの電話に二日酔いの気分の悪さも加わって、 応対の悪さには自分ながら嫌気がさした。 「なに?おかん」 すぐにでも煎餅布団に潜り込みたい俺の耳に 母親の泣
まげのないお殿様にお目どおり
朝の掃除がすむと「そうだ父に電話しなくちゃ」 と思い出してダイヤルをした。 「あっ、おじいちゃん、わたしだけど……」 「うん」 「こんないい天気だから、またゲートボールへ行ったんでしょう。 だめよ
戦時中、”よろず”医院だった祖母の泣き笑い
私の祖母は、昭和20年3月まで、 大阪で内科・小児科・産婦人科の医院を開業していました。 当時は健康保険もありましたが、 今のような3分診察ではなく、患者さんたちは診察以外に、 職場や家庭の問題、子
警察官のやさしさに「世の中まだまだ捨てたもんじゃない」
運転手という職業に携わっている人間にとって、交通違反は致命的。 免許停止にでもなれば、生活の危機だ。 それでも、深夜の空いている首都高速を 60キロで走るタクシーなどいないのも事実だし、 都内では違
ベエが戦争に行った日
昭和19年、大分県S村の農家に嫁いでいた祖母は、 畑仕事に追われる毎日だったという。 祖父は気性が激しい人だったらしい。 S村では若者がみんな戦地へ出兵した。 祖父は片足が少し不自由なこともあって、